2000年9月19日の日記

眠れない。昨日も眠れず、アリーマクベルやテレビショッピングなんぞ見ながら、結局4時まで起きていた。あんなに寝るのが得意で「のび太の再来」とまで言われた(註:言われてない)僕がどうしたことか。おかげで毎日出社が昼近くになってしまっているではないか。 元気が余ってるのかと思い、真っ暗闇の中、布団の上で腹筋運動を始める。疲れるは疲れるが、端から見たら馬鹿みたいだし、なんだかますます目が冴えてきた。しょうがないので燃えるゴミを回収所へ持っていく(ご近所のみなさんごめんなさい。でも明朝の回収に寝過ごしそうだし)。 そのまま自転車に跨り、近所を意味なく30分ほど走り回ってきた。深夜に町田街道を疾走する30代パジャマ男。ますますもって馬鹿っぽくなってきた。息を切らしてマンションに戻る。さらに9階まで階段を駆け上がる。フラットメートを起こさぬように帰宅、シャワーを浴びて横になったら、やっと寝られた。でもすでに3時。 明日も眠れなかったら、こんどこそ禁断のヤクに手をだすぞ。なんて、こないだジンマシンの時にもらった抗ヒスタミン剤だけど。あれは確かに眠くなるんだが、本来の役目でない薬を飲んだりしていいものかどうか。

2000年9月18日の日記

また米海軍の軍人さんから問い合わせ。彼女と一緒に日本にくるので、部屋を探している。僕自身は(軍務で?)不在にすることが多い。君のところは条件にぴったりだ。すぐに返事してくれ。という内容 ウェブ広告の方を読んでないように思えたので、読んでくれというのと、横須賀までは結構遠いよ、ということを書いて返事した。 確認したいことがあってNTTに電話して聞いてたら、Pamに「akkyいつも英語喋ってるから、日本語で話してると変な感じがするわ」と言われた。チミが日本語で話さんからでしょうが。好きで英語喋ってるわけじゃないんですけど(笑)。

2000年9月16日の日記

ものすごい雷。午後中光っていた。しかも近い。今日は、昨日買ってきた本など持って近くの公園にでも行こうと思っていたが。しょうがないので家に篭る。まだじゃがいもが大量に残っているので、シチューを作ることにした。 カウントダウンTV(昼の方)をぼーっと見ていたら、Pamが「洋楽の情報はみんなどこから得てるのかしらね」と聞いてきた。「今じゃほとんどないけど、全米トップ40みたいな番組もあるにはあるんだよ」 Pamはあまりテレビを見ないけど、SMAPは認識できるようになったらしい。あと、あいかわらずKinki Kidsが出てくるとニヤニヤ笑ってるけど(Kinky Kids=変態坊や、ね)。***の生徒の女の子にも、Kinki Kidsのファンは多いってさ。

2000年9月15日の日記

ここんところ、毎週末泊まりで出かけているので、今週末は休養にした。那須とか伊豆とかの話もあったのだが。 昼までのんびり寝て、ネットで中古フラット探し。今回、いくつかの不動産屋にウェブサイト上から問い合わせしてみた。以前、今のフラットを探した時も使ったのだけど、当時(3年前)は問い合わせしても向こうの連絡が来るまで3,4日かかった。しかし、今回は、昼過ぎに出した問い合わせに対して、夕方には電話やらファックスやらでじゃんじゃん返事がきた。 昔に比べ、不動産屋も、ウェブ経由の問い合わせを頻繁にチェックするようになったのだろうし、その価値があるほど、ネットでの問い合わせも増えたんだろうな。数年後には、返事や間取り図なんかもメールで返すようになっててほしいものだ。 夜、自転車でBook Offへ。 トーキョ大沈入/田中康夫 ひとりあるきのソウル 98年版 わたしは悪徳不動産屋 話題の人、田中康夫の文庫を一冊。彼の政治的スタンスには共感するところが多いが、本の形のものは読んだことがなかったので。ソウルのガイドブックは、2年前のものが100円だったので購入。

2000年9月13日の日記

今日は会社を休んで、マイレージのタダ券を受け取りに新橋へ。せっかく東京に出て行くのだからということで、都心に勤める友人M嬢と山王パークタワーの聘珍樓でランチ。(おお、田中康夫の日記のようだ) M嬢が午後を休みにしたのと、こちらもチケット受け取り以外予定もなかったので、どこか面白いところに連れて行ってもらうことにする。その前にまず新橋へ。デルタ航空のチケットセンターは、係員2人しかいない、こじんまりとしたオフィス。先客もあり、それなりに時間がかかった。空港使用料も徴収されたし、タダ券使うのも楽じゃないね。 その後、M嬢の提案で、東京ツインパークスという大規模マンションのモデルルームに行く。週末は大混雑するのだろうが、平日は閑散としてリラックスしたものだ。豪勢な設備・内装のモデルルームにはため息がでるばかり。実際そう見えていたかどうかはともかく、金持ちの若夫婦を装い、予定価格など聞いてみたりもする。 そして、こちらの希望地である秋葉原へ行き、ひさびさに「わが心のふるさと」アキバの匂いを堪能。夕食は渋谷に移り、本開店前だというイタリア料理店へ。名前は忘れた。楽しく美味しい一日でした。 また機会があれば東京に行きたいものだ。(いや、毎日通ってる人もいっぱいいるんでしょうけどね。普段乗らない電車で疲れ果てました。)

2000年9月12日の日記

一ヶ月ほど前に、技術翻訳の件で見積もりを出した会社だが、返事がないのでもう一度再送した(メール事故で届いてないかと思いまして、、、と書いて)ところ、返事が来た。「そちらの提示された料金では、こちらの予算内に収まらないので、今回は残念ですが。。。」ということだ。断るのが気まずくて返事を寄越さなかったんだとしたら、マナーの悪い会社だが、実際のところはわからない。 そんな高い値段をふっかけたつもりはなかったんだけど、アマチュアを募集するからには、ものすごい低料金を期待していたということか。おこづかいを手にいれるチャンスがなくなって残念。 こないだRyanが来たとき、色々思ったけど、英語圏の人はなんでも英語読みするので、英語圏以外の固有名詞が出てきたときたいへんだわ。ジニーバとかズーリックとか読むんだもんね(ジュネーブとチューリッヒのこと)。Hiroのピアノの上の楽譜を見て、バックだね、とかいうから何が「背中」なのかと思ってたらバッハのことだし。 などと思ったが、よく考えると僕らも「こうたくみん」とか「せいあん」とか言ってるから大差ないか。世界史取ってたんだけど、日本語で覚えた中国の地名や人名が、中国人や台湾人の友達にまったく通じなかったことがあったよ。もちろん、書けば通じるんだけど。

2000年9月11日の日記

Pamに貸している古いノートパソコンのディスクが一杯になったらしい。デジカメの写真が主だろうと思うのだが、前から約束してたとおり、僕のPCにつなげてデータを吸い上げた。こちらのPCがクラッシュしたら責任持てないし、そのままCD-Rに焼いてあげた。古いパソコンだから、今じゃCDよりも容量が少ないよ。 オーストラリアに帰る日が、12月中旬というところまで確定したということも聞いた。大学に行く(戻る)らしい。2年間というから、日本でいう学部の後半なのかな。

2000年9月9日の日記

青少年の家は、意外と立派な建物だった。金持ってるな川崎市。研修を終え、家に帰る。途中、グランベリーモールでカレーの材料を買う。こないだ掘った芋を使うため、カレーを作っている。