2000年1月4日の日記

日系アメリカ人のAndreからメール。東京に移ってくるのは4月か7月頃になりそうなので、そこがその時空いてるかどうかはわからないけど、今東京に来ているので、部屋を見に行っていいか? 平日の夜でもいいんだけど、という内容。 平日の夕方を含めて、こっちの都合のいい日を書いて返事した。僕本人がいなくても、部屋が見られればいいなら、ということで、PamとGregoryにもCcして、もし都合が合えば、部屋を見せてあげてほしい、と送っておく。 Gregoryのパソコンの、無料プロバイダ(livedoor.com)への接続設定を手伝う。なんのことはない、回線がパルスなのにパルス設定にしていなかっただけだった。

2000年1月3日の日記

会社のテニスコートを取ってあったので、Gregoryとテニスをすることにした。しかし、鍵を貸してもらう守衛所に誰もおらず、コートに入れない。しょうがないので、埋め合わせにどこか行きたければ連れてくけど、ということで、観光地に行くことになった。 彼には、昔沖縄の基地にいたおじさんのおすすめというのがあって、「大阪奈良」「日光」「鎌倉」だというので、鎌倉に行った。ちなみに僕も鎌倉に行くのは初めて。車は規制されてたので、しょうがなく遠くに止めて、大仏と銭洗い神社をまわってきた。ガイドするための語彙が足りず、説明に苦労する。 観光を終えた頃には、晩飯にしてもいい時間になったのだが、Gregoryに聞くと、やはりというか、家に戻って自炊したいという。大仏の拝観料(200+20円)払ったから、もう6000円切ってるもんな。しかも、帰りは高速(350円)じゃなくて下で帰ろう、と言い出す。もちろん、一人だけどこかで食べるわけにもいかず、すきっ腹のまま運転だ。僕も自分では倹約家だと思っていたのだが、この調子だとこの1月はかなり質素で厳しい生活になるだろう。家で食べる時にしたって、一人だけ豪華にやるわけにもいかない(なんといっても、Gregoryはまだリビングにいるんだし)。 帰宅したら、Pamのボーイフレンド、Nickが来ていた。よく話は聞いていたが、会ったのは初めて。Nickは今ベルリンでWebデザイナーをしてて、長期休暇で日本に旅行に来ている。鎌倉に行ってきた話をすると、Pamは僕が車を持ってるなんて知らなかった、と驚いていた。引越して来る時に、「荷物が大量にあるなら車を出そうか?」と言った気がするのだが、英語が通じてなかったのかな。 ネイティブ3人を相手にすると、もともと話し上手でもない僕は、ますますタジタジになってしまう。Nickは、おきまりの「カルピス(カルおしっこ)」や「ポカリスエット(ポカリ汗)」を自販機で発見したようで、それを話して受けまくっていた。辞書もひかずにネーミングするような連中も確かに問題だが、別に英語だとも言ってないんだからほっといてほしいぞ(笑)。なぜかヤクルトなどの乳飲料を気に入ったそうで、買ってきたビックルを嬉しそうに飲んでいた。

2000年1月2日の日記

今日も仕事。Gregoryは時差のせいかすでに起きている。名前と住所を書かせ、IDとして免許証と国際免許証を預かった。なんといっても、まだ1銭も預かってないからねぇ。IDがあれば、もし、金目のもの(ないけどサ)を持っていきなりいなくなっても、追跡は可能だろう。復路の便とキャリアもわかってるし。 とりあえず、シャワーやキッチン、近場のスーパーの場所の説明をし、駅までの道順、東京への出方などを教えた。昼間はラウンジではなく、僕の部屋を使うよう頼み、荷物も全部僕の部屋に移した。鍵の使い方も教えて、会社へ。 帰宅。Gregoryは、隣のスーパーに行ったくらいで、特に出歩いてない様子。無料のインターネットプロバイダに、持ってきたPC(でっかいノート型をかばんに入れてた)を繋ごうとしている。僕のPCで、接続プログラムを落とし、ヘルプファイルも読んでやる。 うちの電話の横には、電話料金を後で計算するためのチェック表が置いてあるのだが、それを見て質問されてるうちに、KDDや東京電話の存在を知ったGregoryは、一番安い方法にとにかくこだわり、市外料金(無料プロバイダの一番近いアクセスポイントが横浜だった)やハドソン料金に至るまで、30分ほど紙に書いて説明させられる。 どうも、このGregoryの倹約姿勢が、鼻につきまくってしょうがない。若く見えるが、IDによれば35歳なんだから、もう少しあきらめて、せっかくの休暇を楽しむべきじゃないんだろうか。バックパッキングでバジェットな旅行をしたいなら、そもそも日本なんかに来るべきじゃないのだ。ここより生活費の高い所なんて、北欧かスイスぐらいしかないだろう? と切れそうになる。ちょっとケースは違うが、電波少年に触発されて世界各地で偽貧乏生活(本当に金に困ってるわけではなく、ファッションとして貧乏なふりをする)を繰り広げる連中が、現地で顰蹙を買いまくっている理由がわかる気がした。

2000年1月1日の日記

今日も出勤だ。ニュースからすると、2000年による重大問題は発生していないようだ。(軽微なやつは、色々と報告されている。うちの会社は幸い関係ないが。新聞とかに載るかどうかはわからないけど) 今後は、4日あたりの仕事始めに注意することになるだろう。 イギリスでは、すでに「2000年問題なんてフカシだ。私は何も起こらないと知っていた。」などと文句を言ってる人が出てるようだ。何も起こらないと「知って」たなら、もっと早くに教えてくれよ(笑)。検査したり修正したり入れ替えたり、ものすごい金と労力をかけて対策して、こんな文句を言われるのではたまったものではないぞ。 せっかく元日から出勤するのだから、和服でキメてみた。羽織袴はないのでふつーの格好(なんて呼ぶのかしら)だが。しかし、100人以上出勤してるのにみんな普段着だった。ちょっと恥ずかしい。ああどこへ行ったのだ日本の古き良き伝統、とか言ってみたりして。単に、元旦から意味なく7割も動員して待機させることに対して、「正月なんだぞ」と抗議の意を(ちょっと)表してるつもり。あんまり着ないと帯の締め方忘れるし。 帰宅したらPamが帰ってきていた。静岡、三重、日光とまわって、楽しんできたらしい。 Gregoryという男から電話。最初、何者か忘れていたが、前にメールで問い合わせてきてた、1月の間だけ日本にくるというアメリカ人だ。なんと町田の駅にいるという。 とりあえず、成瀬まで移動してもらい、車で迎えにいった。背丈も年も僕と同じくらいの白人。生まれはニューヨーク州だけど、最近アトランタに移り、新しい仕事の面接をいくつか受けたところだそうだ。要するに無職ってことか? 夕食がまだだったので、カレーを出して一緒に食べた後、話をする。レジュメはもらっていたかもしれないが、いきなり夜来たよく知らない人物を泊めてもいいものかどうか迷う。Pamは、ラウンジで彼が寝ることには構わないと言ってくれたが。しかも、デポジットの話をすると、現金は6000円しか持ってなく、口座も開いたばかりで、まだ全額おろせないという。その場で銀行に電話して、7日にはおろせるようになると確認したようだが。 あまりにイージーゴーイングな感じに、これまでにない不安を感じる。家には金目もものはないし、僕自身は問題ないのだが、PamやEiko(不在だけど)の安全にも責任があるし。ただ、話している分には危険な人物とは思えない。第一、日本語もわからないのに元旦の夜に、しかも町田の片田舎に放り出したら、どうするんだろうと心配にもなる。 結局、他に打つ手もなく、信用する他にないか、ということになった。なるようになれだ。ラウンジ(リビングルームのことね)に客用布団を敷いて、泊まってもらうことにした。

1999年12月31日の日記

2000年問題に備えて出勤。明日も出勤だ。 とんでもないことに気がついてしまった。これまでずっと、「少しずつ」ではなく「少しづつ」である、と思っていたのだが、なにげなく広辞苑をひいてみると、「少しずつ」が正しいのだ。いったいぜんたい、いつからこの間違いをしてたのだろう。確かに、漢字変換しても、「少しづつ」の時は「少し筒」になりやがる。きっと「しょーがねーなぁ、パソコンはよぅ」とか思いながら、わざわざ間違ったほうに直してたに違いない。30年も生きておきながらこれかぁ、とも思ったが、次の千年紀に間違いを持ち越さなかっただけでも良かったのかもしれない。もちろん、全部のページを検索して証拠隠滅だ。

1999年12月30日の日記

検索エンジン経由の一般読者(いるんだね)から質問メールがきた。 「外国人ハウスに泊まって英語を覚えてみたいんですが、どこにあるかわかりません。教えてください」とのこと いわゆるガイジンハウスについての紹介を急ぎ書き、追加してみた。 フラットシェア自身に関係しないのだが、とりあえずおまけとして入れておく。

1999年12月29日の日記

フラットメートが二人ともいないので、家がみょーに広く感じる。プログラマーとしては、2000年問題に備えるために、ずっと出勤なのだ。 そういえば、世間一般のイメージでは、プログラマーよりSE(システムエンジニア)の方がかっこよくて高級な仕事らしい。これまで、例えば、電気製品の比喩でいうと、コピー機を設計開発する技術者がプログラマ、運んでいって設置し、客にあわせて設定するサービスマンがSE、みたいに思っていた。SEはよく客先に行くけど、プログラマは普通お客とは会うことないし。そういう矜持もあって、プログラマを名乗っていたんだけど。 調べてみたら、いまどきの広辞苑には載ってるんだね。SEは、「コンピューター‐システムの開発・設計・運用に携わる技術者。」だそうだ。

1999年12月28日の日記

フラットシェアの紹介ページを、今後どう作っていくか、悩んでいる。おそらく、「英語を覚え、外国人と仲良くなる」のを目標として書いていけば、最も受けが良いことだろう。ただ、実際には、決して外国人イコール英語、ではないし、ある意味、英語圏からの人なんて、文化的には似たり寄ったりで特徴がない。 部屋探しで特に差別を受けてるのは、どちらかというとアジア系、イスラム系、南米系の外国人だと思うし、あまり英語英語って言うとそのあたりを無視してるような気もする。これまで部屋を見に来た中にも、ペルー人とかケニア人もいたんだが、残念ながら条件の折り合いがつかなかった。

1999年12月27日の日記

Pamは今日から、彼氏と青春18切符で旅行らしい。行き先も決めてないようだけど。おすすめがあるか、と聞かれたが、年末は掃除して帰省するか、海外に行くのが主流みたいだから、あまり観光向きの季節ではないね〜、と答える。行くとしたらスキー場か温泉かな、でも温泉は西洋人には熱すぎるだろうね、と言ったら、そうそう、と言ってた。本当に困って、日本語の助けが必要なら、電話してくれ、よい旅行を、と言って会社に向かった。

1999年12月26日の日記

3,4日前にTokyo Classifiedで見つけてメールしておいたMaoriさんに部屋を見せた。日本人の大学生。Tokyo Classifiedに広告を出してるくらいだからフラットシェアに慣れてるのかと思ったが、その広告自体も友達が出してくれたとかで、Tokyo Classifiedを呼んだ事もないらしい。 建物全体が外国人向けの施設のようなものをイメージしてたようで、どこにでもあるただのファミリーマンションの一戸だというのは、見てみるまではわからなかったそうだ。 家賃も安いし、悪くないという印象を持ってもらえた(たぶん)と思うが、実際に住むには、田舎の両親の許可を得ないと、ということだ。日本人にはなじみのないスタイルなので、たぶん説明するのは大変だろうな。許可が出るようなら、また連絡します、とのこと。