1999年12月22日の日記

Pamに、郵便局から配達時不在通知が来ていた。「これ何?」と聞かれたので読むと、うちの郵便受けに入りきらない荷物を持ちかえったらしい。 なるほど、あらためてみると、日本語が読めないとなんの案内だかぜんぜんわからないな。「また送ってもらう」「近所に預けてもらう」「会社に送ってもらう」「送ってもらう郵便局を決めて、取りに行く」のどれかを選んで送り返せばいいんだよ、と説明した。

1999年12月19日の日記

Pamを、英語の特訓をしてる大学時代の先輩に紹介した。とりあえず昼から半日授業をしてみて、毎週続けることで合意したらしい。先輩はなかなか面白い人なので、日本人ともっと知り合いたいと思ってるPamにもいいんじゃないかな。 帰り一緒に家に向かってる時、近くのアパートの前に家具が大量に捨ててあった。「こういうのを拾うと日本では犯罪か?」と聞かれたので、別にいいんじゃないかな、と答える。色々あるので二人で検分してみた。最初はライティングデスクを持っていこうかと思っていたが、部屋が狭くなりすぎるので、結局カラーボックスを2つだけもらっていった。

1999年12月16日の日記

Gregoryという人物からメールでの問い合わせ。1月の1ヶ月だけ日本に来るが、部屋は空いてるか、日本語が喋れないけど、1ヶ月だけのバイトをできるようなところを知らないか、という内容。レジュメまでついてる。 1月10日まで部屋は空かない。もし皆が許せば、10日まではラウンジで寝るという手はあるかもしれないが、他の場所を探しておいたほうがいいかも。それから、観光ビザで仕事するのは違法だろうし、1ヶ月だけのバイトなんて簡単には見つからないと思うけどなぁ、と返事した。 家に帰ったらPamがいた。鍵の開け方もEikoさんに聞いたらしい。いくつか最低限の説明をとりあえずした。

1999年12月13日の日記

Brianからメールの返事がきた。結局、うちには住まない、ということだった。うちの良い点、悪い点を並べ、どうすればもっと魅力的になるだろうという質問にも、丁寧に答えてくれた。信頼のおけそうな人だったので惜しいが、無視する人だって多いのに細かな返事をくれたことは単純にうれしい。 Pamが現れない。12日には部屋に入ると言っていたのだが。デポジットはもらっているのでこちらの問題はないが、連絡もないのでちょっと心配だ。

1999年12月12日の日記

Pageから返事が来ていた。必要ならデポジットも郵送する、など、かなり熱心だ。気になるのはメールの内容で、nowがknowになってたり、やたらと誤字が多い。学がなければ粗暴かも、なんてのは偏見なのだが、メールの内容もどうもシンプルで、どういう人物なのか不安になる。 Ryanからメール スイスでの暮らしはあまり楽しくなく、来年早々には東京に戻りたいと思う、また部屋を借りていいか、とある。Ryanにはどこでも稼げるような特殊技能があるわけでもないし、日本で英語教師をするのがもっとも割がいいのはわかってたので、以外でもない。ただ、前に貸してた自転車はもう自分で使っているし、家賃も値上げしている。そういうのを伝えても、まだ町田に住みたいと思うだろうか。それとも、友達がいのないやつと怒るだろうか。

1999年11月25日の日記

大学の先輩が転職のためにNoveで毎日3クラスずつ取ってるというメールをもらう。PamがNovaの先生だったと思うので、安く個人授業できないか聞いてみましょうか、と提案。Novaを通さなければ全額Pamに入るし、うまくいけばどっちにとってもお得なはず。シェアメイトの財政状態が良くなれば大家の僕にもgood. Ryan宛てのメッセージ。早口で良くわからないが、すぐに連絡くれとのこと。電話番号もなにも言ってないので、とりあえずRyanにメールを出しておく。

1999年11月16日の日記

イタリア人女性、学生 Oriettaからメール。まだ決まってないならメールをくれということで、興味があれば見に来てくださいと返事をだした。 留守電にPamのメッセージ。急ぎの用なら12まで起きてるので電話してくれ、とのことで電話する。週末帰省することにしたので、その次の週にしてくれないか、という話をした。実家ってどこ?と聞かれたので答えると、日本地図を持ってるので見ておくわ、と言っていた。よい旅行を、とも言ってくれた。 Ryanの指示に従い、PHS会社の手紙を開ける。9月分の請求書だ。26日までに払わないと、各電話会社に名前を通知しちゃうぞ、という脅しが書いてある。とりあえずRyanにどうしてほしいかメールした。立替えておいてもいいが。