とある大阪が本拠の電機メーカーの東京支社で一日会議。10人強のうち4人が、会議室で煙草を吸いまくっており、死ぬかと思った。今時、会議室は禁煙だろう。相手が逃げられない状態で煙草を吸う人間とは、絶対楽しく仕事できん。(一緒に行った同僚は、喫煙者だが会議中に吸ったりはしていない)
Pamの誕生日なので、コンビニでケーキを買って帰った。二三日前に、リビング用にPamの余っているカレンダーを貰ったんだが、11日に丸がしてあって”My Birthday!!”と書いてあったのだ。催促されたわけじゃないが。
英語学校での授業で、困っているそうだ。英語で議論の練習をするために、Pamがある意見(反対意見を出させるために極端な意見の場合が多い)を述べてみても、日本人はそれに対して反対しようとしない、というもの。この不満は、前に他の英語教師からも聞いたことがある。多くの生徒が、「先生がそう言うなら、たぶんそうなんでしょう」と場を納めてしまうので、授業が進まないとこぼしていた。しかも、本当に同意してるわけじゃなくて、Pamが本当にその意見を持っているんだと思われちゃうらしい。
日本の学校では人と違う意見を持つことが尊重されないし、議論の授業もないんだ、と説明した。僕はもちろん、それでいいと思ってるわけじゃないが。ここでは、歴史的な経緯などから、議論と尊敬よりも、和(unity)が尊重されるんだ、僕は議論するほうが好みだけど、でも、西洋式がとにかく正しいとも思ってなくて、より良いやり方は、色んな国でのやり方の中間のどこかにあるんじゃないかと僕は思ってる、と答える。
akkyはどうしてそんな議論好きになったの、と聞かれたが、難しい質問だな。単純に天の邪鬼だったところに、色々な本を読んでたからかな。日本の学生が、いつまでも「教師の言うことが正しい」あるいは「正しくなくても従うべきだ」と思っているとは思わないけど、教師が間違ってると思っても、反論しない習慣というのが身にしみついてる人は多いだろう。そしてその態度が、英語教師をいらつかせるんだよね。