某所でたまたま見つけた、「選挙に行ってもどうせなにも変わらない」という意見に反論してみる。
民主主義は過半数の人の意見で決まると単純に思っている人が多いが、51%の議席を確保した政党の、その中の過半数(26%)を取ればその政党を操作できる。さらにその派閥の過半数(13%)を取れば、派閥を、政党を、全体を好きに動かせることになる。ようは、「まわりの人みんながそう望んでいる」方向じゃなくても国は動かせるということ。
さらに、この「最初の100%」が、投票率の低下で真の有権者全体の40%とかになれば、13%x0.4で、だいたい5%の支援者を集めれば十分ということになる。
現在の政策に対して「まあ可もなく不可もなし、どうでもいいよ」と思う人がほとんどであっても、単に投票に行かないというのは、その5%を集めて自分達の好きな方向に国を動かしていこう人たち(こういう人たちは選挙に熱心で、必ず投票に行きく)を間接的に支持、応援しているのと同じことになる。
投票に行っても無駄とか、何もかわりっこない、とか言う論法や雰囲気は、投票に来ない人が多いと有利になる政党を利することになるわけだ。その政党は、そういった5%を取り込むために、忠誠心のある層(土木業界、農民、高齢者、特定の宗教の信者など)に有利な政策を約束している。農業政策や年金政策だけが国のふるえる権限ではもちろんないので、そこでは支持者にいい目を(投票への見返りとして)見させて、残りの分野を好きに動かす、と。
政党の政策内容や違いがわからないことを理由に選挙に行かない人が多いみたいだが、そういう人たちが「わからないなりに適当に選んで入れる」ということも、上のような「国を少数のまとまった人たちのいいなりにしない」というじゅうぶんな意味がある。