昼は点心。こないだと同じ店。腹いっぱい食べて一人$6。英語通じなくてあまりきれいでもないけど、僕はここの点心大好きだ。
やっと電話を申し込んだ。ずっと仕事ばっかりしてたし、携帯もあるのであまり強い必要性を感じてなかった。じつは、先週一度英語の受付に申し込んだら、「まず部屋のジャックに電話機挿してみろ」と言われ、Chrisに借りた電話機を挿したけど反応がなかったので、そのままほおっておいたんだった。Pacific Bellの日本語サービス番号というのにかけると、手続きもろもろで20分ぐらいはかかったけど、DSLと一緒に申し込みはできた。
やはりというか、本人確認がないと電話はひけないということなので、パスポートのコピーを送らなければならない。11Fにある文房具屋へ。店番のじいさんにパスポートのコピーを取ってもらい、今聞いたばかりの電話番号と氏名を書き込んで、教えられた番号にファックスした。
昨日と同じだけど、Chung King飯店へ。最初の晩に連れてきてもらったときと同じ、オイスターと豆苗と滑たまご(又の下に虫)、あと、にがうりとリブを炒めたもの。Evanに連れて行ってもらったどの店もおいしかったけど、この店が一番かな。これまでありがとうということと、これからがんばってということで彼に奢って、バス停からバスに乗る彼を見送った。
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6時に仕事をきりあげて、社長夫妻とPackbell Stadiumへ。MUNIのNラインは球場へ向かう人でいっぱい。東京に比べたらまだまだ余裕があるんだけど、他の人とくっつくほど混むというのはアメリカ人にはめずらしい経験らしく、まわりではワーオとか言ってる。
小雨のぱらつく中、球場に到着。数年前に街中に出来たこの球場は、あえて4万人台の規模に抑えて、ライト側にはほとんど席をつくらず、ライト場外のホームランがベイに飛び込む、という設計になっている。
対戦相手はドジャース、先発は野茂だ。新庄は5分の打率しかないけど1番で先発。なんでも一試合$8000(!)もするスイート席が日本の旅行社の買占め攻勢にあっているそうで、営業を考えるとしょうがないのかも。美技は見せてくれたが、満塁のチャンスに凡退するなど、いちばんつらいのは新庄自身だろうな。
開幕6連勝だったジャイアンツは、いいところなく0点負け。ジャイアンツファンの社長は残念そうだったが、僕は、ひさしぶりに生の野茂を見られ、彼が勝ったのでよかった。7回の歌も始めて生で見た、というか参加できたし。
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夜9時、Evanと彼の二人の弟と4人で車に乗り、RichimondのKorean BBQへ。入ってから焼肉だと気づいた。昨日も食ったけどまあいいか。カルビとブルコギと、ソウルで覚えた「サムギョプサル」あるか? と聞いたらあるというのでそれを頼む。
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今使っているシャンプーは、ここにきて初めて買ったものだが、名前がすごい。”Melon, Cucumber and Vitamin E”。というわけで、メロンとキュウリとビタミンEが入っている。色は半透明の鮮やかな黄緑、ふたを開けただけで、メロンのつもりらしい人工臭がぷ〜んとしてくる。だって安かったんだもの。他のシャンプーが300mlぐらいで$4のところ、これだけ$2だったから。ようするにあれだ、失敗作で売れ残ったんだろうな。そして、こだわらないにもほどがある自分って。。。
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昼休み、食事に出ようとするところで、誰かに方を叩かれた。誰だろうと振り返ったら、一つ上の階の住人、Loriだった。「ハーイakky、ついに会えたわね」。同じビルで仕事してるというのは聞いてたけど。
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昼は近くのフードコートでメキシコ料理。細米に野菜、チリ、チーズ、豆などのソースをかけたもの。$5.5
チェックブックが届いた。どんと箱で来たのでなにごとかと思ったが、5冊150枚分も入ってる。ケースもついて。中には好きな絵柄のチェックを注文できるカタログも入ってたが、150枚も入れておいて注文もないもんだ、と思った。そんなにチェックって使うのかなあ。
夜はワシントン飯店でBeef Chow-men。イギリスではチョウメンは柔らかい麺だったが、これは固ヤキソバみたいなもの。アメリカでも一般のチョウメンは柔らかくて、チョウメンが固い麺なのは香港式というんだ。とはEvanの話。
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土日ずっと書き物。11時ぐらいに屋上にあがる。最上階に住んでいるLoriが、水着で日光浴していた。軽く挨拶。彼女もダウンタウンで働いているらしい。よくよく聞いてみると同じビルだった。僕は椅子に座り、ノートパソコンを出して書き物を始める。彼女は新聞を読んでいたが、やがて部屋に戻っていった。
2時間もするとバッテリーが切れたので、部屋に戻って続き。3時頃、腹が減ったのでWashington SquareでやっているOyster Festivalへ。昨日も一日、アイリッシュ音楽が流れていた。入場料は無料。ステージが組まれて、バンドが演奏している。芝生にはたくさんの人が座ったり寝転がったりしている。まわりにはギネスなどのアルコールや生牡蠣のテント。入口でIDを見せると、腕に「飲酒可」を表す紙のバンドをつけてもらうようだ。パスポート持って来てなかったのでつけてもらわなかったが。もともとあんまり飲まないし。
BBQ Oyster3個$5を並んでゲット。おいしいけど食欲が刺激されてしまった。そこで、フィッシュアンドチップスを$6で購入。油で気持ち悪くなりながらも、演奏を聞きながら食べきった。4時半頃にはもう寒くなってきたので、まだまだ人でいっぱいだけど家に戻る。家のリビングのソファに寝転がって作業を再開すると、窓のそとからは演奏が聞える。
夜、Safewayへ。今回はじっくり見て回った。どこになにがあるかはだいたいわかったけど、日本にない面白いものや日本と違うものについては、まだまだ発見の余地ありだ。買い方や割引の仕組みなども、違いそうなものがある。物の値段についても、よくわからないな。車で来て大量に買うと安くなるものはいっぱいあったけど。帰りは登りだけど、10分くらいか。前回の反省から、今日は薄着にしてみたので、疲れはしたけど汗はそれほどでもなかった。
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昼、会社の近くのワンタンメン専門の店でワンタンメン。$2.90は安い。めずらしく日本人向けのサイズだというのもあるが。野菜も取ろうと頼んだ青菜のオイスターソースかけ$3.5のほうが高い。
夜、Evanの弟のKenがダウンタウンまで車で来てくれたので、3人でGeary/16thにある上海料理店、老上海へ。Evanは北京語は苦手だから話したくないそうで、Kenがなんとか注文をしてくれた。くらげ、餃子、小龍包、ウナギに似たもっと小さいやつの炒め物。小さい餅のようなのがたくさん入ったちょっと甘めのスープ。さいごに餅のないぜんざい。合計$46+チップ。僕が$20払ってあとEvanが払った。Evanはまだ学生のKenにおごってやってるようだ。
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早朝、航空便が届いた。エレベーターのないところを上まで4箱運んできてくれた運送屋には頭が下がる。この荷物が届いて、ちょっと生活が改善されたかな。
朝、会社への道すがら、警察署へ。事件番号を書いた紙を見せて、紛失届をキャンセルしてもらった。ほんとありがたいことだ。サンフランシスコ、そりゃ悪いやつもいるだろうけど、いい人もたくさんいる、ような気がしてきた。
今日のお昼は、仕事が忙しいのでオフィスに買って帰る。近くのunderground、アメリカなので地下だね。地下にある、フードコート。フィリピン、タイ、日本、中華、フレンチベトナム、メキシコ料理の店がまとまってあるところ。タイ料理の店で、Chou-menにチキンカレー、まっしゅるーむと野菜炒め、のおかず二品をのせてもらい、$7。おいしいけど多かったので残す。やはりアメリカでは残すことを覚えないと、どんどんお腹が大きくなってしまいそうだ。
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会社に電話。Nancyと名乗る女性。財布を拾ったんだけど、名刺が入ってたのでかけた。ということ。びっくり。
会社が終わってから、聞いておいたNancyの家に電話。すぐ近くに住んでいるそうだ。こっちの住所を言うと、じゃあ今からどこそこの交差点に来て、というので言った。1分ぐらいか。むこうからヒスパニック系の中年の女性が歩いてきた。挨拶する。「これでしょ」と言って渡してもらったのは、間違いなく僕の財布だ。中身もそのまま。どこで見つけたか聞くと、どうも僕の家の前付近らしい。
ものすごく助かった、ありがとう、と言いたいが、語彙が少なくて感謝の言葉が出てこない。「私も財布を落としたことがあって、結局出てこなかったけど、財布を落とすのがどんな気持ちかわかってるから、いいわよ。」と言ってくれた。Great Neighbourhoodだ! お礼したかったので、入ってたうちドルの分のほとんどを渡してわかれた。ただ、今考えると、カード類や日本の免許証など、なくなってたらたいへんなものもたくさん入ってたし、もっとたくさんお礼を渡すべきだったかもしれない。なんといっても、現金だけ抜き取って財布は捨ててしまえば、彼女はもっと儲かったのに、わざわざ連絡してきてくれたのだから。
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