まだ片付けきっていなかった町田の部屋を片付けに、町田に移動。
Charlieという男性が部屋を見にくるということで、KikoとYumiによるインタヴューに同席、というか僕が一番慣れててどうすればいいかわかってるということで、僕が色々説明したり質問したりした。
電話で、英語ネイティブではないなと思っていたが、Kikoが駅から連れてきたCharlieは、黒人のにいちゃんだった。タンザニア人だそうだ。都心のクラブで夜勤で働いてることとか、今は一間に友達と住んでるので自分の部屋がほしいとか、だいたいの事情はわかった。
大家の立場としては、働いてるしタバコも嫌いということで問題ないように思えた。即答ではなかったが、部屋を取ることにはポジティブなようにも見えた。しかし、実際にこれからいっしょに住むことになるYumiは、Charlieが帰ったあと、あまり気乗りがしないようなことを言っていた。
夜勤の人は昼間フラットで寝なきゃいけないわけで、寝てる横で洗濯や料理したり、テレビを見たりしにくいのではというのが心配らしい。他の人が昼間ふつうにうるさくするのは覚悟の上で入ってくるかどうか、というのをCharlieに確認してみるしかないか。
こんどこそ町田は片付けきった。じつは収納を一つ自分用に確保してしまったので、厳密にはいろんなものが残ってしまったが、そんなに何もかも新天地には持っていけないよ。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月11日の日記
マイケルへ電話。3月〜4月にかけて日本に遊びに来る、というクリスマスカードを受け取ったのを、今までほおっておいたのだ。電話して、僕が転職して日本にいなくなってしまうことを伝えた。でも、マイケルが泊まれる部屋はなんとかassembleするから、と伝えた。
マイケルのフラットシェアの広告、役にたってるか、と聞いたところ、2ヶ月に1件ぐらい問い合わせはあるんだけど、どうも値段を言うと「高い」と言って終わってしまう、らしい。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月9日の日記
夜、高校の同窓会で新橋へ。関東在住者ということで、7人集まった。僕がいなくなるというので、その前に集まろうということになったものだ。
新橋、という場所指定がさすがというか。僕にとって新橋といえば「酔っ払ったおやじ」である。今回初めて新橋に行ったが、どこのニュース番組の街頭インタヴューもやってなかったので、僕も頭にネクタイ巻いて「やっぱあれだね、日本はなんとかしないとダメだね」とか答えるチャンスがなかったのが残念。ネクタイしてなかったけどさ。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月8日の日記
会議と勉強であっという間に一日が過ぎる。会社に食堂がないため、昼は外食。夜は退社まで我慢してる。夜も外食に行ったほうがいいのかも。そうすると何時まででも仕事してそうで怖いが。
転職を報告したRafからメールの返事。なんとイタリアではなくロンドンにいて、ウェブデザイナーをやってるらしい。「SFもいいけどヨーロッパに来いよ」とあった。僕もヨーロッパのほうが好きなんだけどね。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月5日の日記
出社二日目。今日の残業は2時間半。通勤に往復1時間半かかるので、これでもけっこうきついかも。
オフィスではPHSの入りがかなり悪いことが判明した。アンテナから遠すぎるのか。
夜、日経ウーマンの取材を受ける。去年も取材を受けたが、今回は別の人。忙しいので電話で。3月発売の4月号。半ページに満たない分量だけど、30分ほど話した。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月4日の日記
ノウハウのページの書いてないところをがんばって追加している。この忙しい時になにゆえ? いろいろ事情があるのだ。
会社と無関係な友人達に、転職と引越しの報告をと思い。とりあえず英語版を作成、英語な人々に送る。何通かは届かなかった。Eメールとはこんなもんだよね。連絡取れなくなった人はしょうがないか。日本語版はいつ書こうか。。。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年2月3日の日記
まだ荷物の整理。おかしい。片付かないったら。
午後、スタバでとあるうちあわせ。これ以上やる事増やしてどうするんだ、と自分でも思うが、これは前からやりたかったことなので。時期が悪いけど。
TBSの午後の番組で、20分ぐらいシェア特集をしてた。旅行中に「今週末に取材したいので至急返事をくれ」というメールをもらっていた話だと思う。どこかで見たようなシェアがいくつか紹介されていた。ウェブサイトや紹介されるシェアって結構固定してきてるよね。ちなみに、旅行中なので取材は受けられないです、という返事は出したんだけど、先方からはそのまま何もなし。そういうもんなのかな。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年1月30日の日記
引越し業者の見積もりが来た。持ってくものを完全に分離できてないカオスな状態だが。当座要らないものを船便で、ぎりぎりまで日本でも使うものを航空便で。家族連れとかではないし、たいしたとこに住むつもりもないので、家具や食器はないんだけど、衣装ケースとかだけでも結構な容量になるらしい。
ELLEの記事が出てるようだ。まだ自分では見てないけど、友達からメールが来た。「ものすごい写真になってるよ。akky超ラブリー(^^;)。学生さんももっといい男なのにね」と書いてあって心配だ。もともと僕は写真に入らないつもりだったのと、仕事がおしててボサボサ頭だったんだよね。原稿はファックスでもらってたので、なんか変な映りなのは薄々感づいていたが。。。そのすぐ後に床屋に行ったんだが、遅いね。
アメリカ人Chrisから問い合わせメール。町田のほう。来月日本の大学に戻ってくるので部屋を探しているとのこと。このあたりの作業も、今後マネージャを頼む友人に転送してまかせてしまう。すぐにでも部屋を取りたいということだけど、やはり一回も会わずに決めるのは難しいかな、というところ。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年1月29日の日記
起きたら10時半。
雨が降り出しそうな天候で、足も疲れているので、地球の歩き方から飲茶の店で一番近そうなのを探す。スターフェリー乗り場横の香港文化中心の2階にある映月楼という店に向かう。途中、海沿いの遊歩道を歩くと、ちょっと寒いが対岸まではよく見渡せて、いい写真が取れた。
映月楼に入る。4階に案内される。12時前なので客はまばら。
小龍包、海老餃子、鳥肉の乗ったごはん、タロイモのコロッケ、おかずの入った餅を揚げたもの、青菜を茹でたものにオイスターソース、焼き餃子(日本人向けメニュー?)、黄色い餡の入ったパイ、タピオカ入りカスタードパイの9種類と、お茶がポットに2杯で、$203。$10をチップ(おつりを持ってきた兄さんがニコニコして去らないので、たぶんチップ要るんだろう)。一人2000円ぐらい。デザート二つ食べたし、おなかいっぱいになった。もう少し人数が多いと、もっと多くの種類が食べられたのになあ。店に入った直後は、客が少なくていろんな点心/デザートをのせた台車を押す人が通路で渋滞してたが、後半客がいっぱいになってくると、目当ての皿を載せた人がなかなか回ってこず、時間がかかった。
雨が降ってきたので、屋根づたいに地下ショッピングモール等を通ってホテルに戻る。ホテルの地下のモールもアウトレット系のお店が入っていて、Dr.Martinの店もあったので物色するが、ほしいのはなかった。
部屋に戻って2時。雨が降ってるし、足も痛いので、4時半頃までうだうだとテレビなど見てすごす。
19時過ぎにホテルに電話を入れる。同行者は昼寝したままだった。とりあえず一旦戻ることにして6番のバスに乗る。19:30に部屋に入ったら、部屋は真っ暗で、同行者は寝ている。叩き起こして、バスの乗り方がわかったから夕飯を食べに行くぞとせかす。
ペニンシュラ前のバス亭から、2番のバスで北上。夜のネイザンロードはネオンの洪水で、ダブルデッカーの2階に乗っていると景色が派手だ。
足保健という足マッサージの店。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年1月26日の日記
明日からの旅行に備えて荷造り。今回は洗濯物が乾きにくいらしいので、毎日洗濯作戦は取れそうにない。
カテゴリー: ルームシェア
| Comments Off on 2002年1月22日の日記