深夜にプロジェクト終了。アメリカ人スタッフ達も(もちろん前々から予告され計画されていたが)遅くまでがんばった。僕が転職して今の会社に買われたのはこのプロジェクトのためだった。もちろんまだまだ先も続くのだけど、大きな区切りがついたことになる。
何事にも完璧はないし、いろいろな制約があってさらに完璧からは遠いのだけど、その中で成し得た事に関しては満足している。いいものを作ったらからといって、成功するというものではないけれど、ものが悪ければ失敗しやすくなる。
当分は定時で帰って、呆けた生活するかなあ。でも突然呆けると言っても、こっちじゃ友達も少ないし、自分で仕事作り出して仕事しちゃうんだろうなあ。
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プロジェクト完了まであとわずか。怒涛の忙しさだ。会社を出たのが夜中の12時半。歩道が濡れてるので、いつもの清掃かと思ったら雨だった。
こっちにきて8ヶ月、初めて雨らしい雨を見た。朝晩に霧はよくでたけど。冬には雨季もあるし、これからは普通に雨が降る季節なのかもしれない。
雪国出身者として、毎年初雪を見るとなぜかわくわくするけれど、今日の雨もそんな感じ。単に働きすぎでハイになってるだけか。
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オフィスの引越し。ちょうど契約が切れるのと、不景気でまわりががら空きなのとで、2倍の広さのオフィスに引越しすることになった。といっても同じ階の二つ横だが。こんどは角部屋なので、見下ろすとダウンタウンの(とある)交差点も見える。
引越しは節約のため、自力で。安くなったといっても、2倍の広さで賃料が上がらないわけもないし、この分も稼がなくっちゃなあ。
昼はアメリカ人同僚とNorth Beachのインド料理屋Tandoori Mahal(Kearny at Columnbus)へ。ランチビュッフェでチップ入れて$10。カレー6種類ぐらい。辛いがうまい。
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| Comments Off on 2002年6月21日の日記
夕方ひとつの山を越えて、さあこれで週末が迎えられる、と思ったら、他の問題発生。結局深夜まで残業。やってもやっても仕事が進まない。前任者(とうにいない)に言いたいこともいろいろあるが、できることからやっていくしかないよなあ。
1.5倍の時間働いて、それでもうまくいかないところもあるけど、それでも自分のやっていることややり方については、かなり満足している。
間違ってると思ったら面と向かってそれを言っても、相手が気分を悪くするわけでもなく、討論の結果納得したらなんのわだかまりもない米国流も、自分に合ってる気がする。その分日本とのやりとりで、つい思ったことをそのまま指摘してしまい、しまったと思うことが増えているけど。
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今晩の食事は、同僚が行きたいというので、ユニオンスクエアに近い堂島庵という日本料理店へ。チキンカツ定食で$15。おいしかった。
その後、すぐ近くのTokyoビデオというレンタルビデオ屋に連れて行かれた。コミックのレンタル始めました、とあったので、なにぃぃぃ、と思ったが、棚二つ分ぐらい、それもあまりおもしろそうなものもない。マンガ喫茶が恋しいなあ。
日本のテレビ放送をそのまま撮ったようなビデオが、たくさん貸し出されている。ドラマも、バラエティも。日本語放送も見てないし、借りてまでみようとは思わないけど、駐在員(日本と同じ暮らしをするための手当てを余分にもらってる人。わたしゃしがない現地採用)とかはこういうの借りて見てるんだろうなあ。
店の奥のほうには、アダルトコーナー。レンタルだけじゃなく販売もしてるようだ。日本語で「お土産用」とか書いてある。お土産用って、公式には日本には持ち込めないんじゃないの? とか思うが、世の中そんなもんだ。
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昼は地下アジアンフードコートでフィリピン料理。ごはんに、豚肉をこげ茶色ソースで煮たもの、あと丸い野菜オムレツ。$5.40
夜は会社の近くの地中海料理屋で、茄子の焼きブリトー(正式名称がわからん)。
今日も帰宅したら12時。これはちょっとひどい。なにか対策を考えないと。
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仕事してたら11時半になった。いかん。これじゃ日本にいたときと変わらないじゃないか。サンフランシスコは比較的安全とはいえ、こんな時間に帰宅するのもよろしくないし。
どう考えても働きすぎだ。日本じゃまわりがこんな感じだったけど、アメリカだと6時前後にだいたいは帰っちゃうし、異常かも。仕事が多すぎるんだ。
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| Comments Off on 2002年4月29日の日記
先週の採用面接の第一候補が、もう今日から来てくれている。僕より経験の長い人で、僕よりいろんな事を知っているようだ。給料安くて、僕なんかの下で申し訳ない気になる。でも、これでなんとか仕事が進められそうだ。一安心。技術は負けてても、バイリンガルというのも僕の能力のうちなんだから、と自分をなぐさめた。ぐっすん。
昼、近くの地下フードコートでベトナム料理。チャーハンの上に煮込んだ牛肉で$4.30
今日はカウンターのあるベトナム料理屋で2度目の挑戦。おばさんの英語がむちゃくちゃわかりずらい。メニューをみて、Bun Riu(蝦蟹肉湯粉)とゆーのを注文すると、まず、飲み物は要るか聞かれた。水でいい、と答える。その次、なんとかスパイス? と聞かれたが、これをわからないのにわかったふりして、ああおねがい、とか答えてしまった。
どこが蝦で蟹かわからんけど、赤いスープに細切りソーセージ、油揚げ、ひき肉のいためたものが浮いたどんぶりが出てきた。下には米の麺。さらに、ベトナム料理屋でおなじみの、もやし、葉っぱ、緑トウガラシ、レモンのセットが出てきた。メニューでは$3.6だったので税金たしても$4ぐらいかと思っていたら、$5.7と言われた。どうも葉っぱセットはオプションだったようだ。小銭を総動員して払ったが、手元の残りが24セント、という極めて危険な状態だった。あぶないあぶない。
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採用面接の続き。今日は3人。今日は3人中3人とも当たり。うち二人は自分よりできると思う。自分の部下の採用面接でこんなの来ちゃって。と思うが、仕事できるに越したことはない。昨日の一番候補とあわせた3人に連絡を取ってもらうことにした。
ホワイトボードに、全候補者の技術レベルや人柄、得意分野やダメなところなど、比較表を作って相談したんだけど、僕がある欄に◎とか×とか△とか書いたら、まったく伝わらなかった。◎がよくて、△が中間、なんていうのは、日本でしか通用しない話だったのか。そういえばイギリスでも使ったことないかも。
最初の夜に連れて行ったもらったChung King飯店へ。苦いメロンと牛肉の炒め物食べるか? と聞かれたので、頼む。実際苦かった。メロンという説明だったが、漢字メニューでは凍瓜だった。ゴーヤかなあ?
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Evanの変わりの採用面接。今日は朝から夕方まで5人。5年前に同じプロジェクトで仕事をしていたフィリピン人がいてびっくりした。といっても、世界中で300人ぐらいの規模の仕事だったので、面識はないんだけど。僕はイギリスでの仕事だったし。彼は日本にも出張で行ったことがあるそうな。肝心の技能がいまいち、というか5人中最低だったのは、あんなプロジェクトに関わっていたからか? とか自分のことを棚に上げてみたり。
面接の後、それぞれの候補者について話し合うんだが、Jadeが「彼は自分の知らないことになるとBSを連発してた」と言うので、「BSって何?」と聞くと、僕がその言葉を知らないのが面白かったのか、笑われてしまった。「Bull Shitだよ」だそうだ。役に立たないたわごと、ぐらいの意味になるのかな。
あと、知らないことを聞かれたときに、自分の知ってることに無理矢理話を変えて大演説をする人がいたが、こういう演説のことをspielというみたい。
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